第一番 新照山 蓮華寺
新編武蔵風土記によれば、新真言宗
、岡上村(現川崎市麻生区)東光院
末、本尊大日如来坐像長九寸ばかり
腹内に行基の作の大日如来像を納む
という、二十年前回禄(火災)
にかかりて堂舎以下烏有となりしと
き、舊記も失ひて詳なることは傳へ
ず、ただ開山朝譽永禄年中(1558
~1569)の人なりと云ことのみ
語り傳へり、又墓所に石碑あり、
後世より建しものなれど、それにも
を刻し、二月十五日とあり、當寺は
昔わづかなる草庵にして、村内専念
の隠居所なりしを、後一宇となして
又改宗せりとぞ。薬師堂、境内に
入りて左にあり、三間四方なり、
木の立像長八寸許、恵心の作なりと
云、いかにも古佛のさまにて、
すべて虫喰み面目もあざやかならず。
此所より坤(ひつじさる・南西)の
方に字引地と云所あり、そのさま
塚の如くにして僅の除地なり、これ
元の薬師堂の跡と云、この所は隣村
大熊村の地續にかかれる所なれば、
もと大熊村につきたる薬師なりとも
云り、後に當村に引移せし故、引地
の唱も起ると云う、いづれが是なる
とを知ず。
 
 
 第二番 神隠堂 
       (浄流寺)
 堂の由来は不詳ではあるが伝承と
して、本尊地蔵菩薩立像は甲斐武田
家の臣、山本勘助の守り本尊と伝え
られてきており、昔から、神隠・
獅子が鼻村をはじめ近隣の村の人々
から生活の安全祈願や病気平癒を願
う信仰の場として親しまれてきたこ
とが伺える。
 堂には地蔵菩薩、薬師如来、不動
明王が安置されており、酉年にお開
帳となる都筑橘樹酉年地蔵尊二十四
ケ寺の霊場(七番札所)、寅年にお
開帳となる都筑橘樹十二薬師の霊
場(二番札所)となっている。神隠
区の浄流寺飛地境内は現在浄流寺
統合され、浄流寺本堂にて諸仏を
祀する。
 
 
 
第三番 星宿山 正福寺
 天台宗星宿山千手院正福寺と号す。
たびたびの落雷火災により全て
消失、寺伝来由来は判明しがたい。
三百数年前現在の場所に移り、
七年がかりで本堂を建立したと言い
伝えられている。
 その本堂も老朽化にともない、
平成十八年には檀信徒一致団結のもと
新本堂が新築再建された。
 その際、ご本尊を修復したところ、
仏像の体内より、「奉西再興恵心御
作釈迦尊像二世悉地所」という
貞享三年(1686年)の八月に
書かれた木札が発見された。
これにより、本堂は三百二十年
ぶりに再建されたということが判明
した。
 ご本尊は木造釈迦如来坐像で高さ
一尺八寸程と云われる。この他薬師
如来像、杉山神社御神体、御霊堂観音
菩薩像が安置されている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第五番 大杉山 龍福寺
 バス停勝田の数十メートル先の
石段の上にあり、向かって左に
黒御影石の柱に準秩父三十四ケ寺
札所第三十三番霊場大杉山龍福寺
の剣銘がある。
 真言宗(豊山派)に属し川崎市
麻生区の王禅寺末寺。開山は実相
上人、一尺五寸の十一面観音菩薩
像をご本尊として大正十五年
(1587)に建立され、
宝暦十二年(1762)火災の為
消失したが、日榮上人が復興した
という。ここは午年開帳観音霊場
である。また、薬師如来も祀る。
木立像で四寸、春日作という。
 この他門柱の左側に祠があり
地蔵、石塔、庚申塔等が祀られて
いる。祠の先に高さ92㎝、石の
「日支事変戦馬慰霊塔」昭和23年
建立がある。石仏は子育地蔵、
子宝地蔵として長く地域の信仰を
受けてきたという。庚申塔は悪疫
が村に入るのを防ぐ為の信仰だった。
 
 
 第6番 養老山 真福寺
開創年代不明。当山は養老山真福寺と
称し真言宗豊山派に所属し、本山は
大和の長谷寺です。薬師如来は
東方浄土の浄瑠璃世界に住して衆生
の現世利益を司る教主にして、因位の
ときに12の大願を発して、病気を
除き、諸根を具足させて、解脱へと
導いて下さる有難い仏様です。
形体は木造の坐像にして長一尺四寸、
慈覚大師の作なりと云う。他に
国重要文化財釈迦如来立像、本尊で
県重要文化財千手観世音菩薩立像有り。
 
 
 第七番 長窪山 正覺寺
 
 山門を入ると右手に六地蔵あり、
左手に庚申塔、その先左に第二次
世界大戦最終期に横浜市の学童疎開
で、児童が使用していた井戸がある。
 境内には、池があり四季を彩る
樹木や花に囲まれ閑静な佇まいを見せ、
六月には花菖蒲と紫陽花が見ごろを
迎え、多くの参詣者を楽しませて
くれる。
 当山は長窪山総泰院正覺寺と号し、
文禄二年(1593年)に
僧快栄上人が開基とされる。
 本尊は虚空蔵菩薩で御丈一尺二寸
の坐像 厨子入りで春日親王の作と
伝えられている。十三参りといって、
男女が十三歳になると、美しく着飾り
智慧をもらいにお参りする習慣が
ある。
 脇本尊として薬師如来が安置され、
恵心僧都の作と伝えられている。
都筑橘樹十二薬師の第七番札所で、
寅年薬師御開帳霊場である。

 
 
 
 
  第十番 光明山 大善寺

縁起によると、もとこの地には小庵

があり、広治年中(1555)禅僧

の瑞蔵王が偶々当所に留錫し、鎌倉

から慈覚大師作の阿弥陀如来像を

招来安置し小庵を復興した。その後

再度荒廃したのを覚蓮社誉大阿善上人

が中興した。善達は天和元年(1681)

示寂していることから、中興はそれ以前

と思われる。ご本尊阿弥陀如来像、

聖観音菩薩像、薬師如来を祀る。尚、

準秩父三十四ケ所観音第三十二番札所

になっている。石仏は境内に六地蔵、

庚申や宝篋印塔、全国巡礼供養塔等

がある。

 

 

 

 

 

 

 

第十一番 綱島山 東照寺

 慶安二年(1649)大曽根町

大乗寺第三世生外意鉄和尚の創建による。

曹洞宗。

ご本尊は薬師如来、正徳年間(1712~

5)の頃、第五世泰呑和尚が山号を

薬王山と改めたが、宝暦二年(1752)

第十世良惟嶺元和尚が再び山号をもとの

綱島山に復した。本尊薬師様は伝行基菩薩

作、珍しいことに脇仏に、向かって左に

釈迦如来、右に観世音菩薩がお立ちになる。

本尊像は坐像で女性のように優しく微笑み

をたたえて坐禅されたお姿で、左手に薬壺を

お持ちになる。両側には十二神将が剣や

槍を持っていかめしく立つ。また七福神の

布袋尊を祀り、お正月初詣でにぎわう、

江戸時代薩摩藩の信仰厚く、本堂には

藩主島津斉宣の額がある。門前には六地蔵、

庚申塔、船形観音等の石仏があり、

江戸文化文政の(1804~29)の作が

多い。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
第十二番 転法輪山 大乗寺
 正確な寺名を転法輪山 箕谷峰院 
大乗寺といい、曹洞宗の寺院である。
大倉山駅の北西五百メートル、大倉山
記念館・大倉山梅林の北約二百メートル。
通称大乗寺谷戸の中ほどにある。
 ご本尊は釈迦牟尼仏、脇士に薬師如来。
 天正四年(1576年)、
大乗寺第三世「生外東鐵大和尚」が
当所の郷士「妻木平十郎重門」の室、
「寶樹院殿華窓智栄大姉」の帰依に
依って建立した。
 時に「生外東鐵大和尚」は、
その先師たる相州愛甲郡三田村
(現・厚木市三田)清源院・第五世
「英顔麟哲大和尚」を請じて開山とし
更に師「玉珊智存大和尚」を第二世と
し、自らは第三世に列した。
 故に第三世生外東鐵大和尚」を以って
大乗寺の中興と称する。
 慶安二年(1649)将軍徳川家光公
より寺領五石、山林・竹林免除、境内除地
の朱印證状を賦興された。以後、将軍
綱吉公、吉宗公、家重公、家治公、
家斉公、家慶公、家定公、家茂公の
安堵状九通を今なお所蔵している。
 本堂は昭和二十年の空襲で全焼したが、
戦後昭和二十五年に再建された。
境内の木を切りだし、不足分は檀家の
庭木で賄うという檀家総出の寄進で
あった。当時はまだちょうなや鉋が
満足になかったためだが、凸凹の
木材には往年の苦労と味わいが感じられる。
 本山は福井。永平寺と横浜鶴見・總持寺
である。